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ヘルシング:哲学的考察

KKKの三角帽見てたら急にヘルシング見たくなってOVA見始めたら止まらず。最後まで見てしまった(^o^)
この作品、何回見たのか分からないけど未だ解けない謎というか違和感が所々あったんだよね。

  • 大尉戦でわざわざ金目の物が沢山出てきた表現。
  • ミナ・ハーカーの存在について
  • アーカードの存在について

などなど、色々。

続きより勝手な深読み考察です。


今まで少佐やミレニアムは単なるナチスの亡霊で単に戦争したかっただけだからあんな事したんだと思ってました。
今回見て感じたのは、少佐自身は「戦争」そのものであり、「自我」であるんじゃないのかな、と。

「我々は、世界中の全ての人間が我々を必要となどしていない、世界中の全ての人間が我々を忘れ去ろうとしている。」―少佐

世界中の人間が戦争を忘れてしまう事が嫌だったんじゃないでしょうか。



「私は私だ。「こっちは あっちと違う」、「わたしは あなたと違う」。この世の闘争の全てはそれが全てだ。人間がこの世に生まれてからな。」―少佐

自我がないと戦争が出来ない、忘れ去られてしまう。だからこそ自我の無いアーカードを討つべきだったんじゃないでしょうか。



  • 金目の物があった→戦争は略奪であり金儲けでもある。
  • ドクと科学について→戦争には常に科学の発展が付き物。科学とは極論常に死を超越し、神に近付く事が最終目的。
  • ミナ・ハーカー→死を超越する為の教材に過ぎない?(彼女を登場させた理由はまだ突き止められません。)



そもそも自我って何ぞや?と調べた結果、こんなものが出てきました。



マックス・シュティルナーの思想(以下、wikiより抜粋)

シュティルナーは、いかなる人間的共通性にも解消しえない「私」という自我を指して、それを「唯一者」と呼ぶ。「唯一者」は私を指し示す単なる名辞、記号であるに過ぎない。「唯一者」を一般的・普遍的に定義することは不可能である。なぜなら「唯一者」とは、個別的・具体的な自我であり、私が所有することができるもの、自己が消費することができるもの一切だからである。
「唯一者」はいかなる概念によっても規定することはできない。私という現実にある自我によってのみ内容と規定が生じる。そうして初めて自己は自己として生きることができるのである。彼は単なる独我論を主張していたのではない。このことは、主体的に独立した個々人による真の人間的連帯を彼が想定していたことからも明らかである。彼が個人主義的アナキズムや実存主義の先駆けと評価されているのも、彼が自らの力によって所有し、消費するものだけに価値の存在を認めたこと、そして自己自身、つまり自我を思想の根底に置いたことが理由としてあげられる。 また、彼のいう自我は、主著である『唯一者とその所有』を飾った次の言葉に現されている。
"Ich hab' mein Sach' auf Nichts gestellt." 「私の事柄を、無の上に、私はすえた。」
彼はこの言葉どおり、自己を「無」、つまり誰もが迎える「死」という必然によって規定される有限なる主体であることを自覚しつつ、生きていく瞬間瞬間において常に自らが自らを定立し、新たに自己自身(自我)を創造し、被造物である自己をとどまることなく超克する(自己規定を克服する)もの、すなわち「創造的虚無」として捉えている。



成る程、シュティルナーの思想を見ると、少佐(自我)とアーカード(死)と当てはめるとピッタリパズルが当てはまった感じがします。



参考資料(Wikipedia)

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